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Home > コラム > ゴルフのある暮らし > 第2話 小樽・冬「小樽繁栄の原点をたどる ─ 小樽港から祝津へ ─」

日本、この刻(とき)、ここへ。〜名門ゴルフコースを生んだ、街を訪ねて〜 日本、この刻(とき)、ここへ。〜名門ゴルフコースを生んだ、街を訪ねて〜

第2話
小樽・冬
小樽繁栄の原点をたどる
─ 小樽港から祝津へ ─

北海道・小樽
MEMO
マップ

2日目の旅スケジュール

  • 鱗友朝市
  • 手宮線跡
  • 祝津港
  • 日和山灯台と小樽市鰊御殿
  • 祝津パノラマ展望台
  • ニッカウヰスキー余市蒸留所
  • 銀鱗荘
隆盛を小樽にもたらした、
港の賑わいの面影をたどる
祝津の港

かつてはニシン漁で栄えた祝津の港。
黄色い観覧車は、おたる水族館の施設

第2話は、ニシン漁で栄えた祝津の港と小樽繁栄の象徴ともいえるニシン御殿、そしてその周辺の観光スポットを巡る旅だ。

昭和初期の写真

(北海道鰊漁光景)山の如き仮置き場(小樽いろは堂発行)と書かれた昭和初期の写真(小樽市総合博物館所蔵)。
大量に取れたニシンは、主に肥料として消費された。

江戸時代後期から昭和初期にかけて最盛期を迎えた北海道のニシン漁。日和山灯台、小樽市鰊御殿など、現在でもその繁栄をしのばせる歴史的建造物が数多く残るのが、祝津の港町だ。

日和山灯台

今も現役の灯台として、祝津の海を照らし続ける日和山灯台。
1883年に完成した日和山灯台は、北海道では納沙布岬灯台に次いで、二番目に旧い歴史を持つ

小樽市鰊御殿

小樽市鰊御殿。
1897年に積丹の泊村に建てられ1958年に現在地へ移築復元したニシン漁師のための番屋。
最盛期には120人もの漁師が寝泊りしたという

12月から3月は、小樽市鰊御殿のように閉鎖している施設も多く、訪れる人の姿もまばらな祝津だが、北海道の厳しい自然と、歴史の爪あとを辿るには雪に大地が覆われた、この季節こそがふさわしいのかもしれない。

写真祝津パノラマ展望台からの眺め

祝津パノラマ展望台からの眺め。
半島の先端に日和山灯台と小樽市鰊御殿が見える

祝津から車で30分、
ニッカウヰスキー
余市蒸留所。
ニッカウヰスキー余市蒸留所

祝津から車で30分ほどのところには、
NHKのドラマ「マッサン」の舞台となった
ニッカウヰスキー余市蒸留所がある。

ニッカウヰスキー余市蒸留所

昭和初期に誕生した、日本のウイスキー発祥の地、余市蒸留所。
マッサンのモデルとなった竹鶴政孝とその妻リタが暮らした住居なども公開展示されている

ポットスチルなどの蒸留施設や貯蔵庫などが無料で見学できるだけでなく、酒屋ではお目にかかることのできないような貴重なウイスキーを試飲することもできる。

ニッカウヰスキー余市蒸留所

一部のウイスキーは、試飲だけでなくデュスティラリーショップで購入することも可能だ

小樽のニシン漁の歴史に
思いを馳せ、訪れたい場所
廃線跡

現在は廃線跡が遊歩道となり、イベントなどに使用されている

もう1ヶ所、小樽のニシン漁の歴史に思いを馳せるのなら訪れたい場所がある。それは、日本で3番目、北海道初の鉄路として、市内の手宮駅と南小樽駅を結び、さらには札幌へと海産物や石炭を運んだ、手宮線の跡地だ。

手宮線の線路

今も残る、手宮線(1880~1985)の線路

1mほどの幅しかないこの一見すれば頼りない線路が、多くの物資を運び、小樽の暮らしを支えてきたのだ。

手宮の街のすぐ近くには
地元の人々も訪れる
鱗友朝市がある。
鱗友朝市
鱗友朝市
鱗友朝市

営業時間は朝の4時から14時だが、訪れるならば10軒ほどの店が揃って開店する午前7時から10時あたりがおすすめだ

お土産を手に入れるだけでなく2軒ある食堂で、新鮮な魚介類を味わうこともできる。小樽の中心地からも程近いので、朝食を食べに出かけてみるのもいいだろう。

余市の大網元、
猪俣安之丞が建造した
大邸宅
料亭湯宿・銀鱗荘

小樽港を一望する高台を独り占めするように建つ、料亭湯宿・銀鱗荘。食事のみ、あるいはランチと日帰り入浴のセットでの利用も可能だ

そして、小樽の旅、第二話の最後に紹介したいのは、余市の大網元、猪俣安之丞が建造した大邸宅を移築した旅館、銀鱗荘だ。

料亭湯宿・銀鱗荘

宮大工・米山仙蔵の普請による本館の玄関。
凝った意匠の数々に、往時の繁栄が偲ばれる

ニシン漁で莫大な富を築いた大網元の屋敷に宿泊すれば、その暮らしぶりがいかに豪奢なものだったのか、うかがい知ることができるだろう。

第3話「心地良き静寂─ノスタルジーの街・銭函─」へつづく

文:ゴルフダイジェスト社 出版部長 近藤雅美