長崎・夏
─ 海とともに歩む、奇跡の絶景 ─
鎖国の時代には、唯一世界に向けて開かれた“海の玄関”として栄えた長崎。
しかし、鎖国の歴史はまた、禁教の歴史でもあった。
弾圧の苦難や時代の変革を乗り越え、明治期からは近代産業の担い手として日本を牽引、雲仙ゴルフ場を象徴とする、日本のゴルフリゾートの先駆けとしての役割も担ってきた。
その長崎の街に刻まれた“軌跡と奇跡”の風景とは─。
第1話
世界が驚いた!
隠れキリシタンの奇跡
守り続けた信じる心 ─ 苦難の"潜伏"250年 ─
1日目の旅スケジュール
- 浦上教会(浦上天主堂)
- 大浦天主堂
- 出津(しつ)教会堂
- 出津(しつ)助産院
- 大野教会堂
奇跡の街・長崎、1日目は、潜伏キリシタンゆかりの地を訪ねる旅だ。
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが来日したのは1549年、群雄が割拠した“戦国時代”のことである。
鹿児島に着いたザビエルは、翌1550年、平戸に渡り、領主であった松浦隆信の許可を得、布教を始める。
ザビエルが日本を去った後も多くの宣教師たちが留まり、長崎は日本におけるキリスト教布教の中心地となっていく。
1571年には長崎港が開港。
南蛮船が出入りするようになると華やかなキリスト教文化が花開き、
長崎は日本の「小ローマ」と呼ばれるほどの繁栄を遂げた。
狩野内膳が1600年頃に描いたとされる「南蛮人渡来図」(左隻)。神戸市立博物館所蔵
Photo : Kobe City Museum / DNPartcom
その長崎に暗雲が垂れ込め始めたのは、豊臣秀吉による1587年の「伴天連追放令」以降である。秀吉はさらにイエズス会の宣教師ら26人を長崎の西坂で処刑。日本のキリスト教徒にとっての受難の時代が始まった。
しかし、日本のキリシタンたちはあきらめなかった。信仰を隠して生きる“潜伏キリシタン”となる道を選んだのである。
踏み絵の地に建てられた
浦上天主堂
秀吉が死に実権を握った徳川家康は、幕藩体制を整えると1614年「禁教令」を出す。「宣教師は外国を植民地化するために送り込まれた先兵である」という風評への恐れ、そして「神のもとでは、皆平等である」という思想が幕藩体制にとっては不都合なものだったことが原因だったのだろう。
キリスト教を「邪宗門」(邪悪な宗教)とみなした徳川幕府が“潜伏キリシタン”に行った最大の弾圧は、踏み絵である。
浦上教会、通称・浦上天主堂は、その踏み絵が行われた庄屋の屋敷跡に建てられたものだ。
禁教以降“潜伏キリシタン” の中心地となった浦上地区には、いくども過酷な取り締まりが行われた。“浦上崩れ”と呼ばれ1790年から四度に渡り江戸幕府が行ったキリシタン検挙では、多数の信者が殉教している。
弾圧の時代が終わり、浦上の地に戻った信徒たちが欲した信仰のよりどころである大聖堂が建てられたのは1880年。“神の家”は、もっともふさわしいこの殉教の地、浦上の丘に建てられたのである。
信徒発見の地、
大浦天主堂
幕末の開国により禁教令は少しずつ緩和され、多数の宣教師が日本を訪れるようになる。1862年(新選組の募集が始まった年)に来日したフランス人の宣教師ベルナール・プティジャンが建てたのが、信徒発見の地として名高い、大浦天主堂である。
1865年3月17日、大浦天主堂を訪れた一団がプティジャン神父に、自分たちはキリシタンであると信仰を告白した。これが日本の、そして世界のキリスト教の歴史においても奇跡と称される“信徒発見”である。
「信徒発見」のニュースは即座に神父からバチカンに伝えられた。その知らせに当時のローマ教皇ピオ9世は「東洋の奇跡」と驚愕したという。
潜伏キリシタンへの愛を貫いた
ド・ロ神父の軌跡
長崎に大きな足跡を残した宣教師がもう一人いる。
布教活動と共に産業と文化を伝えた、ド・ロ神父である。
マルコ・マリー・ド・ロ神父は、1840年(天保11年)、フランスの貴族の次男として誕生し、神学校卒業後、東洋布教のためパリ外国人宣教会に入会。禁教令が緩和されたとはいえ、まだキリシタン弾圧が続いていた1868年(明治元年)に来日、長崎や横浜で数々の功績を残した。
外海(そとめ)へ赴任してからは布教活動とともに、フランスで学んだ建築・医学・農業などの幅広い分野の知識を活かし、「隣人を自分のように愛しなさい」というキリスト教の教えを実践。深い人類愛の精神で外海の人々のために力を注ぎ、1914年(大正3年)に74歳で天国に旅立っている。
26世帯のために建てられた
大野教会堂
出津(しつ)の集落から北へ約3キロ。少し無理をしても訪れておきたいのが、急な坂道の先にポツンと佇む、大野教会堂である。
大野は、1599年の平戸の領主・松浦氏による弾圧から逃れたキリシタン、籠手田一族ゆかりの地と言われる。
禁教の時代が終わり信徒として名乗りを上げた26軒の大野集落の住民のために、1893年、ド・ロ神父が設計し、私財を投じて建てたのが、この教会だ。
殉教の地から再生の地、そして出津、大野の教会を巡る長崎の旅。
そこには、ド・ロ神父をはじめとする、幕末に海を越え、生死を顧みず禁教下の日本を訪れた宣教師たちの“無償の愛”の物語と、その心を今に伝える長崎の人々の生きざまが、今も色濃く残されていた。
第2話「出島から奇跡の産業革命遺産へ」につづく