創業は1928年。手間も時間もかかる手工業が主流の、当時の日本の家具づくりにおいて、いち早く工芸の工業化を実現したマルニ木工。確かな技術力と揺るぎない誇りを原動力として、真っ直ぐに家具づくりに取り組み続ける老舗メーカーの目指すものとは。広島県市街から車で1時間ほどの場所にある本社に伺い、代表取締役社長の山中武さんにお話を伺いました。
「実は、東京の銀行で勤めたあとに広島へ戻ってきたころ、会社はかなり厳しい状態だったんです。銀行からの融資も断られてしまうほどの。それが、どれほどの状態か、銀行員だった自分には痛いほど分かりました」
「このままでは明らかに、あと数年でダメになる。会社を守るため、血も涙もないプランを立てました。売れるものは全部売る。工場は減らす。従業員をリストラする。嫌なヤツだったと思います。でも、やるしかなかったんです。まぁ、今でも大して良いヤツではないですけど(笑)」
左:代表取締役社長の山中武さん。本社工場にて右:マルニ木工の代表作「HIROSHIMA」アームチェア。
「うちにいる皆は、木工が大好きなんですよ。時代の波にうまく乗れず、辛い状態にあっても、現場では本当に楽しそうで。それを見ていたら、我々は木工家具メーカーとして生き残るしかないと思いました。そこで、2004年には原点回帰の意味を込めて、社名を当時の“株式会社マルニ”から、こだわり抜いた製品を生み出していた創業して間もないころの“マルニ木工”に戻しました」
時代の波に乗れなくなった理由。それは、時代に合わせたデザインを新しく発信しなかったから。そこで、外部デザイナーを迎え、大きなデザイン改革となる“ネクストマルニ”プロジェクトをスタートさせました。
「木工家具メーカーとして生き残るためには、デザインが変わらないと」。当時の想いを語る山中さん。
2006年にはロングライフデザインを標榜する“60VISION(ロクマルビジョン)”にも参加し、60年代に生産したチェア「宮島」を復刻。未来に目を向けながらも、ロングセラーも大切に後世へ受け継いでいく姿勢を示しました。
そのなかで出会ったのがプロダクトデザイナーの深澤直人氏とジャスパー・モリソン氏でした。ネクストマルニでは12人ものデザイナーと組んでプロジェクトを進めていましたが、「マルニ木工の技術力を見たい」と工場に訪れた最初のデザイナーが、このふたりだったのです。
左:マルニ木工発祥の地である宮島。厳島神社は宮島が誇る世界遺産です。右:厳島神社の拝殿の待合室ではヴィンテージの「宮島」チェアが使われています。
「工場を見学していただいたあと、深澤さんからメールをいただいたんです。そのメールには『すばらしい木工加工技術をおもちなのに、塗料を塗ってしまうのは木の良さを殺しているようで残念です』と書かれていました」
「クラシック家具は塗料を塗って磨いてを繰り返して、木の良さを引き立てるもの。お化粧上手が王道だったところを、深澤さんはスッピンで木がもっとも美しいところを探れとおっしゃったんです」
その言葉は、ずっと頭から離れませんでした。自分たちの木工技術を活かすものづくりとは何なのか。自問自答する日々が続きました。そして2007年、起死回生の望みを託して、デザインを依頼しようと深澤氏を訪ねたのです。
左:何度も触りたくなるようなきめ細かな仕上がりは、腕利きの職人が丁寧に磨き上げたからこそ。右:「HIROSHIMA」アームチェアのパーツ見本。削り出した状態と磨いた状態。
「お金も時間もないけれど技術と想いだけはあります、と正直に伝えました。深澤さんは、『木の椅子をつくるのは難しい。デザインが良くても座り心地が悪かったら評価されません。そこをクリアするのは長年の経験で培った技術しかない。マルニ木工には、それができる』とおっしゃってくださいました。そのころのわたしたちは、ものづくりに対して完全に自信を失っていたんですが、その深澤さんの言葉に火がつきました」
その後、何度か試作を繰り返し、誕生したのが「HIROSHIMA」でした。名付けたのは深澤氏。世界中の誰もが知っているだろう、この“広島”の地で生まれた椅子で、世界を舞台に勝負をしたいという想いが込められているのです。
2012年MARUNI COLLECTIONのレセプション後の様子。左から山中社長、深澤氏。モリソン氏。
「深澤さんにデザインを依頼した理由はたくさんありますが、何よりも人として信頼できる方だったから。仕事に対する真摯な考えが、真面目に家具をつくってきた我々と相性が良かったんだと思います」
「デザインに対して、どんな質問を投げかけようとも、深澤さんは洗練された美しい言葉で答えてくださるんです。僕だけでなく、企画メンバーも開発メンバーも『この人にすべてをかけよう』と思ったはず。今も、そうです」
2017年の新入社員は13人。「大ベテランのおっちゃんが、優しい顔をして新人に作業台をつくってやっているのを見ていると、幸せな気持ちになりますね」と山中さん。
2009年にミラノサローネで初めて世界にお披露目された「HIROSHIMA」は、今やイギリスやドイツ、フランスなど28カ国で展開するシリーズとなりました。日本が誇る伝統工芸のひとつである木工は、ここ広島の地から世界へと羽ばたいているのです。
「日本の住宅文化レベルを高めたいと頑張ってきた先輩たちの技術と心を引き継ぎ、日本から世界に向けて発信していきたい。100年経っても“世界の定番”として認められる木工家具をつくり続けようと思っています」