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LIFE STYLE COLUMN

photo ゴルフも人生も、もっと楽しくなる! 達人たちの名言・格言

ボビー・ジョーンズ

<達人たちの名言・格言> vol.1

人間は与えられた条件のなかで
どう生きるかが大事なのだ。
これが、今、私が置かれている
人生のライ(※)なのだ。

ボビー・ジョーンズ(1902〜1971年)

1902年、米国・ジョージア州生まれ。14歳で全米アマに出場後、数々の選手権に優勝。特に1930年には世界の4大タイトル、全米、全英両オープン、両アマに優勝、年間グランドスラムを達成。全英オープンに勝ち、祖国に凱旋した時は国民的英雄となった。

ジョーンズの言葉は、単にゴルフだけの箴言としてでなく、人生の生き方への深い洞察力が感じられることが多い。
ゴルフはそのラウンドにおいて不公平である。
ボールはどんなライに止まるかわからない。
フェアウェイの真ん中にナイスショットしても、ボールはディボット跡 (※)に止まる不運だってある。
しかし、そのライに対して嘆いても始まらず、ベストを尽くして対処していくのがゴルフたる所以なのだ。
これは、人生でもまったく同じことがいえるのではないか。
そう球聖は言っているのである。
この「言葉」からは、ジョーンズが単にゴルフでの不世出の天才であっただけでなく、生き方にも知性と哲学をもっていたことが感じられる。
それが、今でも多くのゴルファーが憧れる所以の一つなのかもしれない。

(※)
ライ…ボールのある場所の状態。打ちやすい状態を「ライが良い」などという。
ディボット跡…フェアウェイから打つ際に、クラブヘッドで削られる芝生をディボット(divot)と言い、打った後の削られた跡をディボット跡と言う。
ディボット跡を適切な方法で修復するのは、ゴルファーの重要な義務のひとつでもある。

ジャック・ニクラス

<達人たちの名言・格言> vol.2

基本を習うのはさほど難しくはない。
しかし、持続力がないので、
多くの人は自分の潜在能力より
低いレベルで妥協してしまう。

ジャック・ニクラス(1940年~)

1940年、米国・オハイオ州生まれ。10歳でゴルフを覚え、12歳から5年連続で州ジュニア選手権優勝。「神童」と呼ばれ、その後も全米アマに2勝して61年プロ入り。その翌年に全米オープン優勝。A・パーマーを破っての勝利。その後、トレードマークの金髪により「ゴールデン・ベア」「帝王」と呼ばれるようになり、史上最強のゴルファーと称された。ツアー73勝。シニア他32勝。中でも4大メジャー勝利数18は圧巻。1974年、世界ゴルフ殿堂入り。

米国では“20世紀最高のアスリート”に選ばれ、日本では“帝王”と呼ばれたニクラス。そんな男の残した「言葉」は、比喩や含蓄に富むというより、面白味のない(!?)、基本をズバリという代物ばかりである。
しかし、だからこそ説得力を持つといえる。
迷ったり、スランプに陥った人がニクラスの「言葉」に出会うと、ハッと気づかされたりするのだ。
ニクラス自身、ジュニア時代、師のジャック・グラウトから髪の毛をつかまれて打たされ、頭の動かないスウィングを身につけた。不調になるとその基本に戻ることを終生続け、変わることはなかった。
これは、何もゴルフのときだけとは限らない。他のスポーツはもちろん、仕事や勉強も、基本に立ち返ることこそが、結果を導き出すための近道だと言えるのだ。
ニクラスは、基本に基本を重ね、積み上げていった天才。その「言葉」の数々は、ゴルフの歴史が続く限り、これからも不滅であろう。

中部銀次郎

<達人たちの名言・格言> vol.3

起こったことに
敏感に反応してはいけない。
やわらかくやり過ごすのだ。

中部銀次郎(1942~2001年)

なかべ・ぎんじろう。1942年、山口県下関市生まれ。大洋漁業を営む一族の御曹司として生まれる。虚弱な体質のため、幼少より父の手ほどきでゴルフを始める。長ずるにしたがって、腕をあげ天才の出現と騒がれた。甲南大卒。60年、18歳で日本アマに出場。62年、20歳で日本アマ初優勝。以後64、66、67、74、78年と17年にわたり、通算6勝の金字塔を打ち立てた。67年には西日本オープンでプロを退けて優勝。「プロより強いアマ」と言われたが、プロ入りはせず、生涯アマチュアリズムを貫いた。

ゴルフにはさまざまなことが起こる。

OBに打ったボールが木に当たって出てきたりする幸運もあれば、ナイスショットがディボット跡(※1)に埋まってしまう不運もある。
とてつもないスネークライン(※2)のロングパットが入ったり、30センチの短いパットを外したりもする。
しかし、これらのことにいちいち反応して、一喜一憂を露わにしたら、精神状態を正常に保てるわけがない。冷静に次の状況判断だってできなくなる。
謙虚に心を平静に保っておくためには、起こったことに敏感に反応してはならないのである。やわらかくやり過ごすことが必要だと、中部は言う。
「プロより強いアマ」と言われた中部は、ゴルファーとしての立ち居振る舞いだけでなく、一人の大人としてどう振る舞うべきか、含蓄のある言葉を残している。

(※1)ディボット跡…フェアウェイから打つ際に、クラブヘッドで削られる芝生をディボット(divot)と言い、打った後の削られた跡をディボット跡と言う。ディボット跡を適切な方法で修復するのは、ゴルファーの重要な義務のひとつでもある。
(※2)スネークライン…グリーン上で、芝目が一方方向ではなく、スライスライン(右曲がり)とフックライン(左曲がり)が混在したラインのこと。

デービス・ラブⅢ

<達人たちの名言・格言> vol.4

自分が前へ進めば、
楽しいことも辛いことも
後ろへ過ぎ去る。
人生は決して止まらない。

デービス・ラブⅢ(1964年~)

1964年、米国・ノースカロライナ州生まれ。プロゴルファーである父、ラブⅡの薫陶を早くから受け、ノースカロライナ大学でもその才能を発揮。85年プロ入り。ツアーで96年までに10勝をあげたが(92年賞金ランク2位)、メジャーへはなかなか手が届かなかった。95年マスターズ2位、96年全米オープン2位。しかし97年全米プロで、2位に5打差つける圧勝で一矢報い、トッププロの座を不動にした。優勝のパットを沈めた時、天国の父親が祝福するように、空に大きな虹がかかったというエピソードは知る人ぞ知る。98年日本での中日クラウンズでも優勝。その後、紆余曲折ながらツアー20勝をあげ永久シード権獲得。2012年は栄えあるライダーカップ・キャプテンをつとめたが、残念ながら米国チームは敗れた。

2012年のライダーカップ(米国と欧州の男子ゴルフ対抗戦)で、キャプテンをつとめたラブⅢ。最終日に大逆転をくらい、意気消沈の休養をとっていると思いきや、次週に開催された試合に顔を見せた。傷心のラブⅢをおもんばかってか、誰も声をかけない。すると、あるライターにラブⅢが自ら静かに語り出した。「ライダーカップからすぐここに来たのは、キャプテンからプレーヤーへ、ぼくの日常へ早く戻りたかったから」

そして、それに続き、この「言葉」が紡がれたそうだ。「敗戦からの立ち直り方を若い人に自ら示しているようだ」と、そのライターはレポートしていた。いかにも真摯に前向きに、物事を見つめるラブ自身の人柄がにじみ出ている「言葉」である。

ジーン・サラゼン

<達人たちの名言・格言> vol.5

ゴルフで油断が生まれる
最も危険な瞬間は、
万事が順調にいっている
そのときだ

ジーン・サラゼン(1902~1999年)

1902年、米国・ニューヨーク州生まれ。イタリア系移民の長男として生まれる。貧しい家計を助けるため10歳でキャディになる。17歳で学校を中退し大工の見習いになるが、大病。その後パブリックゴルフ場につとめプロゴルファーへの道が開けた。20歳のとき、「マッチの鬼」といわれたウォルター・ヘーゲンを破り全米プロに勝ち、メジャーでの初勝利をもぎとる。28年には全英オープン、30年全米オープン、33年にはあの有名な15番のダブルイーグルでマスターズを制覇し、世界で最初のグランドスラマーに。ゴルフ殿堂入りもしている。

冒頭の「ゴルフで」を抜くと、人生の処世訓でも通用する「言葉」。日本のことわざにもある、「好事魔多し」ということだろう。
アベレージゴルファーにも、稀にだが、ゴルフの神が舞い降りる刻があって、それが何ホールか続くと、「何でオレはこんなに上手いんだろう」と思うことがある。しかしそう思った瞬間には、油断という崩落の芽がすでに芽生えていると思ったほうがいい。

だが、凡人にはそれがわからない。
そういえば、ゴルフではないが、日本のバブル景気もそうだった。バブル紳士が世界の金持ちランクの上位に名を連ねたが、その後の崩壊は誰もが知るところ。あの絶頂のころ、油断ということを気づいていれば……。
ゴルフも人生も、パーを、あるいはバーディをとった次のホールで大叩きをする人は(このケースがまた多いのだが)、この教訓を肝に命ずべし!

ホレス・ハッチンソン

<達人たちの名言・格言> vol.6

寛容で礼儀正しく
思いやりの心さえあれば、
実社会で生涯かけて得る尊敬以上の尊敬を
いとも簡単にコースから得ることができる。

ホレス・ハッチンソン(1848~1909年)

1848年、米国・ジョージア州生まれ。1886年、87年と全英アマを連覇。史上最も多くのゴルフの本を書いた「チャンプ」として知られ、ゴルフ誌の最初のベストセラー「Golf」の編纂者としても有名。大英図書館に残る著作は39冊を数えるが、実はまだ20冊は残っていると言われている。「全英チャンプ」と呼ばれるより、「ゴルフライター」と扱われるのを本人も好んだ。

ハッチンソンは、全英アマチュアゴルフを連覇した偉大なゴルファーだが、同時に多くの名言を残したゴルフライターでもある。大英図書館に残る著作は35冊を超えるが、他にまだ20冊はあると言われている。
ゴルフは、書くかプレーするか、いずれにしても毎日ゴルフに触れていなければ生きていられなかった彼が、1886年に放った箴言がこの「言葉」だ。

これは、ゴルフの功徳を説いたものだが逆のことも言える。実生活で正当に生き、社会的名声を得ても、スコアをごまかすとかボールの位置を変える、というたった一度の非紳士的振る舞いが露見したとき、その社会的名声、人格は地に堕ちてしまうのである。

トム・ワトソン

<達人たちの名言・格言> vol.7

成功の確率を倍にしたければ、
失敗の確率も倍にすることだ。

トム・ワトソン(1949年〜)

1949年、米国・ミズーリ州生まれ。スタンフォード大学卒業。71年にプロ入りしツアー参戦。ツアーでの勝利39。メジャーは全米オープン1勝(82年)、マスターズ2勝(77、81年)、全英オープン5勝(74、77、80、82、83年)の計8勝。帝王ニクラスを継ぐ「新帝王」と言われるまでになったが、極度のイップスに襲われ全米プロは未勝利、グランドスラマーにはなっていない。知性派として知られ、88年にはゴルフ殿堂入りも果たした。

トム・ワトソンの全盛期は1980年代だが、その少し前まではドライバーショットは真っすぐに飛ぶときと曲がるときの差が大きく、攻め方もピンだけ真っすぐに狙うようなゴルフをしていた。

調子がいいときはすごいスコアが出たのだが、失敗も当然多かった。たいてい、こういうゴルファーはメジャーに勝っても1勝限り、という「一発屋」で終わることが多い。
しかし、ワトソンは違った。これらの失敗を何度も経験することにより、成功の確率を上げていく賢さがあった。
ワトソンは名門スタンフォード大学で心理学を学び、卒業している。多くの一流プロたちは大学に入っても卒業するのは稀であることから考えれば、彼が成し得たことは大変価値のあることであり、ワトソンは「クレバー」なゴルファーだと言える。

失敗をただの失敗で済ませてしまうのではなく、失敗の中から学びを得ようとする姿勢が、成功への近道なのである。

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