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LIFE STYLE COLUMN

photo ゴルフも人生も、もっと楽しくなる! 達人たちの名言・格言

バイロン・ネルソン

<達人たちの名言・格言> vol.8

私は2つの「C」
concentrate(集中)とcomposure(平静)で
自分のゴルフを作り上げてきた。

バイロン・ネルソン(1912~2006年)

1912年、米国・テキサス州生まれ。10歳からキャディを始め、20歳でプロ入り。仲間にはベン・ホーガンがいたが、性格は正反対だったという。その後サム・スニードを加えた3人は、「ビッグスリー」として時代をリードした。1937、42年にマスターズ優勝。39年には全米オープン、全米プロは40、45年の2度優勝している。また45年には前人未踏の11連勝を達成し、年間平均スコア68.33という驚異的数字を残している。ヒッコリーシャフトから、当時開発されたスチールシャフトにいち早く切り換え、それが美しいワンピースのスウィングを獲得する要因になった。引退してからもネルソンに師事するために門を叩くトッププロは多く、長くツアー界の大御所として君臨した

ネルソンには、これからも未来永劫破られないであろう記録がある。それは、1945年に打ち立てたツアー11連勝の記録。この年は、年間18勝、勝率6割、平均ストローク(※)は120ラウンドで68.33というミラクルデータも残している。
113試合連続予選通過の記録も保持していたが、これは2003年に、タイガー・ウッズによって破られた。年間勝利数も勝率も平均ストロークも、もしかしたら破られるかもしれないが、11連勝だけは不可能……という人は多い。
この11連勝を支え続けたネルソンのゴルフの要が、concentrate(集中)とcomposure(平静)という2つの「C」だった。
そんなネルソンだが、5連勝くらいからは連勝することへの畏れ、重圧が高まり、「もう負けて楽になりたい」という気持ちとの闘いだったそうだ。事実、連勝が止まったときには、「解放された」と思ったという。 とはいえ、この2つの「C」もまた、ゴルフでの未来永劫の「名言」と言えるだろう。

(※)平均ストローク…1ラウンド当たりのストローク数の平均値

(前列左から5人目 / 東京ゴルフ倶楽部 vs 六甲ゴルフ倶楽部対抗戦、撮影年不明

<達人たちの名言・格言> vol.9

正直に、正々堂々とプレーせよ。
そうすれば自ずと、
スポーツマン精神に乗っ取った
プレーが出来る。

大谷光明(1885~1961年)

おおたに・こうみょう。浄土真宗・西本願寺21世法主、明如上人の三男に生まれた。1906年から3年間の英国留学でゴルフを覚えた。22年には日本アマチュア選手権に勝つほどの腕前だったが、その後はルールの正しい解釈と普及に努めた。24年、日本ゴルフ協会の設立にも尽力し、理事長や会長などの要職を歴任した。

大谷光明は日本ゴルフ史において、その草創期に、ルールの正しい解釈と普及に大きく貢献した人として知られる。
大谷は浄土真宗・西本願寺21世法主の三男として生まれた。ゴルフは1906年(明治39年)から3年間、英国に留学した時に覚え、22年(大正11年)には日本アマチュア選手権に優勝するほどの達人だった。しかし、大谷の真骨頂は、先に述べたようにゴルフルールの正しい解釈と普及にあった。ゴルフでは、自分一人が裁定者であるがゆえに、プレーヤーの誠実性に絶大の信頼性が払われなければならない、ということを説いたのである。
「嘘を言わない人、ずるいことをしない人、これが真のゴルファーで」の後に、表題の「言葉」に続く。つまり、ゴルファーの性善を信じ、訴えたのである。このことは大谷が僧侶であったことと、決して無関係ではあるまい。

<達人たちの名言・格言> vol.10

果断であれ。
間違った決断は、多くの場合、
優柔不断よりずっとマシだ。

ベルンハルト・ランガー(1957年~)

1957年、西ドイツ(当時)生まれ。「ゴルフ小国」からの初のメジャーチャンピオン(マスターズ1986年、93年)となり、欧州ツアーでも2度賞金王(81年、84年)となる。ライダーカップ10回選出。米国チャンピオンズツアーでもメジャー制覇。日本ではカシオワールドに優勝。欧州ツアー42勝、国際試合3勝。02年、世界殿堂入りを果たした。

ランガーは打つ前に時間をかけ、スロープレー気味だと批判されることもある、しかし、熟考と優柔不断は違うようだ。 熟考とは、決断に時間はかかるが決断したらあとは迷わない。一旦決断したあとも、まだウジウジと迷うのが優柔不断。この優柔不断こそゴルフの最大の敵だとランガーは言う。理由は、打つ直前で迷うとショットに「キレ」がなくなり、肉体も心も解放されないからだ。決断して打って、結果が思い通りにいかなくても、優柔不断のまま打つより、後悔の度合いは少ないのだろう。少なくとも、決断し切った主体があるのだから。スコアメークの要素は、「決断力」にあるといっても過言ではない。これは、実生活にも当てはまるかもしれない。

<達人たちの名言・格言> vol.11

ゴルフは自分の人柄を
天下に公表するゲーム。
欠点が赤裸々に露呈されて
恥をかく仕儀になる。

赤星 四郎(1895~1971年)

1895年、東京生まれ。米国・ペンシルベニア大学卒業、スタンダード石油に勤めビジネスを学んだ。大正時代、米国留学中に覚えたアメリカンフットボールに熱中し、かたわらゴルフも体得。帰国後、1928年(昭和3年)日本アマチュアで優勝。その後も米国で学んだゴルフを伝え、プロゴルファーの育成にも力を注いだ。また程ヶ谷カントリー倶楽部を設計するなど、ゴルフ場設計にもその名を残している。日本オープン初代王者(第1回1927年)の赤星六郎は弟。

赤星四郎、六郎兄弟は日本ゴルフ界の黎明期(れいめいき)に多大な影響を与えた人として、ご存知の方も多いだろう。 いや、米国留学したこの2人がいなければ、日本のゴルフ界はスタートがもっと遅れたといっても過言ではない。六郎が技術面(米国の近代スウィング)を伝えたとするならば、四郎はマナーやルールなどゴルファーの高邁(こうまい)なる精神について説いた。表題の「言葉」もそうだ。
「なまじゴルフなどやらなければよかったのにと思う人物がいる。静かにしてればいい人で終わったのに……」と嘆息したのはしばしばだった。
そこでこういう人物には以下のように助言した。
「衷心から申し上げるが、取りあえずの礼儀作法を学んだうえでゴルフを覚えること。さもないと社会的信用までなくす人生になりかねない……」

<達人たちの名言・格言> vol.12

人生で最も輝いている時間に、
同年代の仲間たちと
色々な経験をしてほしい。
そのときの経験と思い出は
永遠に残るから。

ナンシー・ロペス(1957~)

1957年、米国・カリフォルニア州生まれ。メキシコ系移民の貧しい家庭に生まれる。練習費用にも事欠く境遇だったが、12歳のときにニューメキシコ女子アマに優勝してから、やっとまともなラウンドができるようになった。72、75年に全米女子ジュニアで優勝。その年に全米女子オープンに出場し、アマチュアながら2位タイとなって一躍時の人となった。タルサ大学へ奨学生として入学するも、20歳のときにプロ転向。22歳までの2年間で17勝をあげ、女子ツアーブームの一翼を担った。ツアー通算48勝。メジャーでは3勝しているが、全米女子オープンだけは獲っていない。87年に世界ゴルフ殿堂入り。

ナンシー・ロペスは、メキシコの貧しい家庭から身を起こし、LPGAツアーに参戦すると大活躍。“ナンシー・ブーム”を巻き起こした。アメリカン・サクセスストーリーの具現者だ。
その元ヒロインの「言葉」は、プロになるためにだけに10代前半から渡米している、韓国選手たちに対して、その感想を求められて発せられた。韓国選手たちがそうしているのは、主に経済的問題だという理由に、
「人生は長く、稼いだお金はいつかはなくなります。それより大学で人間形成をしたほうがいい。プロ入りが数年遅れても回り道ではなく、ツアーはすぐになくなりません。私も大学時代の2年間は人生の宝物です」
そういえば、トム・ワトソンも16歳でプロ入りした石川遼に対して、こう感想を述べていた。
「少年時代の一番楽しいときを犠牲にして、なぜそんなに生き急ぐのか?」日本には若くから一つの道を貫く、一芸を極める、といった人生観や世界観がある。対して欧米では何でも広く経験して、その中から自分にフィットする分野を選択するといった考え方があるようだ。人生観、世界観の彼我の違い。そんなことを考えさせられる「言葉」だ。