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LIFE STYLE COLUMN

photo ゴルフも人生も、もっと楽しくなる! 達人たちの名言・格言

バイロン・ネルソン

<達人たちの名言・格言> vol.13

自然の声に耳をかたむける

井上誠一(1908~1981年)

いのうえ・せいいち。1908年、東京生まれ。裕福な医者の家で育ち、高校時代、大病を患い静養を兼ねてゴルフを始めた。療養にいった静岡県の川奈で英国人設計家チャールズ・アリソンと出会ったことから、設計家の道を目指すことになる。井上が会員だった霞ヶ関CCの改造を、アリソンが弟子ジョージ・ペングレースに任せ帰国。ペングレースの下で井上も働き、そこで自然を大事にする設計の何たるかを学んだ。代表作は霞ヶ関CC西コース、大洗GC、日光CC、愛知CC、札幌GC輪厚コースなど。

ゴルファーならば、この名前を一度ならずとも聞いたことがあるだろう。そう、日本でのゴルフコース設計家の第一人者である。「未開発の自然を可能な限り残し、美しいコースを造る」

これが、井上の設計哲学だった。造成地にじっと佇み、自然の声に耳を傾けることが、井上が最初にすることだった。造成が始まると、たびたび現地を訪れて、双眼鏡をのぞき、図面上にない樹木があると現場作業責任者に「切りなさるなよ」と釘をさすのが常だった。

また、オーナーの一存で設計図にない人工物などを配すると、取り除かせた。言うことをきかないと、二度とそのコースへは足を踏み入れなかったという。「どんなに自然を守るといっても、ゴルフコースは大地を刻む行為なのだから、人工物などもってのほか」、ということだろう。

また、日本独自の気候に合わせた造成観も持っていた。日本は雨が多い。そのため、池とグリーンを離してなお美しい景観を現出するには、どうしたらいいかという方法を編み出している。
自然を愛し、自然と対話しながらデザインした井上のコースは、今も日本の大地に生きている。

<達人たちの名言・格言> vol.14

ちょっとした見栄が、
ゲームをだいなしにする

アーノルド・パーマー(1929~2016年)

1929年、米国・ペンシルバニア州生まれ。ウェイクフォレスト大学在学中に全米アマチュアで優勝。その後PGAツアーに参加し60勝を挙げている。シニアで獲得したタイトルは10勝。ツアーでの勝利のなかには全米オープン、マスターズ、全英オープンのメジャータイトルも含まれているが、全米プロの優勝はなく、グランドスラマーにはなっていない。しかし、プロ入りから一貫して、チャージ・スタイルは変わらず、圧倒的人気を呼び、国民的ヒーローとなった。ゴルフを米国のメジャースポーツの地位へと引き上げる牽引力となったのである。

説明はまったく不要なほどの「言葉」だが、パーマーがこの言葉を残しているところに意義がある。
パーマーは言うまでもなく、現代の米国プロゴルフを今日の隆盛に導いた第一人者である。偉大なプレーヤーは何人もいるが、人気という点ではまちがいなく史上第一位だ。

ストロークプレーにおいてのゴルフは、いかにミスを少なくするかといういわば保守的な要素を色濃くもつスポーツである。ところがパーマーは「攻撃=チャージ」という概念をもちこみ、ゴルフをエキサイティングにして、“アーニーズ・アーミー”という熱狂的なファンを生み、米国のヒーローになった。どんな難しい位置からもピンを狙い、それが成功すると拍手喝采!「我らがアーニーはやってくれたぞ!」と言わんばかりの熱狂ぶりだった。しかし、ゴルフの本質の半分は「守る」ことである。その後に現れたジャック・ニクラスが攻守を兼ね備えた典型で、“帝王”と呼ばれた。

ともかく、ゴルフはミスを少なくするゲームだから、安全優先がスコアメークには欠かせない一大要素であることは紛れもない事実である。その点で言えば、見栄は最大の敵なのである。アベレージゴルファーにおいてもこれは同じ。腕前も省みずパー3ホールなどでも同伴競技者より長いクラブは持ちたがらないし、レイアップせずにクリークの餌食となったりするのは日常茶飯事。

きっとあなたにも経験があることだろうし、パーマーもまた、守るべきところを、ギャラリーの熱い願望にも似た声援に押されて、チャージし、敗れたことは何度もあったに違いない。
そのためか、グランドスラマー(メジャー大会すべてに優勝すること)には至っていないのである。

(写真左が赤星六郎)

<達人たちの名言・格言> vol.15

アリバイとエクスキューズが、
ゴルファーの
スポーツマンシップを壊す。

赤星六郎(1898~1944年)

1898年、東京生まれ。戦前、米国に留学した兄・四郎と六郎は、帰国後米国でのゴルフ体験から、日本でも楽しいゴルフを普及することに努め、日本ゴルフ草創期を築いた。第一回日本オープンはアマチュアながら優勝。以来アマチュアが勝った例はない。その後、後進の指導やゴルフ場設計(我孫子GC、相模CC)に足跡を残した。

日本オープン初代チャンピオンであり、ゴルフ草創期をリードした赤星六郎は、何よりアリバイ(口実)とエクスキューズ(弁解)を嫌った。

仕事が忙しかったからダメだったとか、風邪ひいて体のコンディションが万全でなかったからダメだったとかの言い訳とか弁解が、スポーツマンシップを壊すとして、赤星は自分の著書でそれらを戒めている。

続けて「どんな事情があったにせよ、ひとたび試合に出場したら、ベストを尽くし、勝って驕らず、負けて恥じず、虚心坦懐、一切の弁解をしない者こそ真のスポーツマンシップであろう」と論じている。

あちこちのコンペでゴルファー同士、様々な口実や弁解を交し合い、キズを舐めあっている光景が散見されるが、それこそがゴルファーの品位を落とし、引いては上達をもストップさせているということを、赤星は教えてくれているのだ。

<達人たちの名言・格言> vol.16

ほんのしばらくいるだけだ。
焦るな。くよくよするな。
途中、花をみつけたら匂いをかぐのだ。

ウォルター・ヘーゲン(1892~1969年)

1892年、米国・ニューヨーク州生まれ。ツアーだけで生計を立てた最初の人で、プロゴルファーの地位を高めたと評価されている。真っ白なロールスロイス、白いタキシード姿で現れ、車で着替えをしたのは、当時ハウスに入れなかったプロの地位への反抗だったのだろう。ゴルフのスキルは天才的で「ピアニストのタッチと、金庫破りのデリケートさを持った男」と評され、一世を風靡した。全英オープン4回、全米オープン2回、全米プロを5回制覇し、メジャー優勝回数は歴代3位の実績を誇る。ボビー・ジョーンズとはまた違う次元で、ゴルフ史に大きくその名を残している。

ヘーゲンは融通無碍(ゆうずうむげ)、プレーにもライフスタイルにも“華”があったという。前夜のパーティーの白いタキシードのまま、ロールスロイスで試合会場に乗りつけたり、プレーではティショットが大きく曲がり、深いラフの中にもかかわらず、ピンそばにピタリと寄せたり。メジャーで11勝もしていて、記録にも記憶にも残った人である。初めてプロゴルファーを社会的に認知させた人として知られる。

そんなヘーゲンが放った、実に詩的な「言葉」である。人生にも喩(たと)えられよう。ほんの短い間のこの世、ゆっくりと花でも愛でて生きようじゃないかと。

ラフの中にでも、可憐な花を見つけたら取ってはいけない。匂いをかぐだけだ。自分のミスショットに腹を立て、野草をクラブで切り払うなど言語道断。そういう輩(やから)は自分の頭でも叩くがいい。
そんなことさえ言外に“匂って”くるような「言葉」である。